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収録CD:"The Complete Tape Music of Dick Raaijmakers" (3CDs / Donemus Records CV 09/10/11) このサイトでご紹介している音楽でのラジオの音の使い方には,その音をほぼそのまま使うタイプと,素材として加工するタイプがあります。この"Ballade Erlkonig"は前者にあたり,しかも23分の作品全体がほとんど短波の音そのままに構成された異色の作品です。 Dick Raaijmakers (姓の日本語表記は「ラージメイカーズ」,「ラーイメイカーズ」など)は,1930年オランダのマーストリヒト生まれ。1950年代以降,変名"Kid Vartan"名義の作品も含め,ユニークな電子音楽の数々を生み出しています。 "Ballade Erlkonig"以前の代表作としては,"Fijf Canons (Five Canons)"(1964-1967)があります。「チリチリ」,「プチプチ」といったノイズ(第5番ではレコードのスクラッチノイズを使用)だけで構成された,異色中の異色作です。 本作では数多くの短波の音を録音して収集し,それらをミックスしています。 使われている音は,信号音,ノイズが主です。それにしても,考え得るありとあらゆる音が駆使され,右から左から音が飛び交っています。ほとんど短波サウンドの見本市状態です^^;。 データ通信,モールス信号,ダイヤルを回す音,歪んだ音声,エキゾチックな音楽,妨害電波,強い電波が混信してシャリシャリいう音(いわゆる"サイドスプラッシュ"),"カリカリ","プチプチ"といったノイズ,果ては数字を読み上げる暗号放送の類まで聞こえます。 また,比較的鋭く短い音や,高めにイコライジングされた音を好んで使っているようでもあります。これは,前述の「ネズミの音楽」にも通じていそうです。 収集した短波の音をミックスすることで,思いもよらなかった意図的に作れない音の形ができたと言います。実際,厳選された素材の緻密な編集の成果というよりは,ラジオの音のおもしろさ(というかストレンジさというか^^;)が活かされている感じがします。 短波の音をそのままに構成した作風は,前述のPonce作品に近い印象も受けます。しかし,ごくクールかつシンプルに構成されたPonceの作品に比して,緻密な構成を持ちつつより複雑な音響,激しい展開もあり,作品全体に異様な熱気さえ感じられます。この熱気は同時期のStockhausenの諸作品(別項参照)にも感じられるものです。 そんな作業の結果できたサウンドは,作曲者にシューベルトの歌曲で有名なゲーテの物語詩「魔王(Erlkonig)」を思い起こさせるに至り,そのコンセプトが付け加えられることになったようです。 「魔王」は,嵐の夜を馬に乗って走る父子がいて,父親が気づいた時には魔王がその子供の命を奪っていたというストーリーがあります。上演においては指定のタイミングで,ゲーテの詩の各部分がスライドで示されます。(CDの解説書にはスライドのかわりに,ゲーテの詩のフレーズに秒単位でタイミングを付した「シナリオ」が掲載されています。) その指定によるとこの曲には17のパートがあり,そのタイミングで音が変化しているのが聞いていてわかります。 18分20秒目,詩のクライマックスにあたる子供が魔王につかまれるパートでは,短波の音とともに明らかにハイファイで多数の銃撃音,砲撃音が聞こえます。サウンドの基本的コンセプトが短波の音ということからすると,「魔王」を思いついた後で加えた音かもしれません。 Raaijmakersの短波を使った作品は本作のみですが,"Canons"に続くノイズを使った音楽の流れの中で,作曲者の意図を超えた音響が現れているという意味でも,一つの極みを見せていると言えるでしょう。 また,本作が作られた1967年前後は,前述のPonceやStockhausenの短波ラジオを使った諸作が産み出されていた時期だったことを考えると興味深いものがあります。 [参考サイト]
[その他の参考CD]
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