片手にラヂヲ♪ ホーム短波ラヂヲの世界へのお誘い「楽器」としてのラジオ?!Dick Raaijmakers

作成日:2006/06/04
最終改訂日:2007/03/03

「楽器」としてのラジオ?!

Dick Raaijmakers (1930-)

"Ballade Erlkonig Voor Luidsprekers"
(Erlking Ballad for Loudspeakers, 1967,23分)

収録CD:"The Complete Tape Music of Dick Raaijmakers" (3CDs / Donemus Records CV 09/10/11)
※ 上記CDセットは長らく廃盤状態でしたが,Basta Musicから同じ曲目,ほぼ同仕様で再発売(Cat.Nr.3091 562)されています。(2007/03/03記)


このサイトでご紹介している音楽でのラジオの音の使い方には,その音をほぼそのまま使うタイプと,素材として加工するタイプがあります。この"Ballade Erlkonig"は前者にあたり,しかも23分の作品全体がほとんど短波の音そのままに構成された異色の作品です。

Dick Raaijmakers (姓の日本語表記は「ラージメイカーズ」,「ラーイメイカーズ」など)は,1930年オランダのマーストリヒト生まれ。1950年代以降,変名"Kid Vartan"名義の作品も含め,ユニークな電子音楽の数々を生み出しています。
ほぼ無名の存在でしたが,1990年代以降,テクノ,ノイズ系音楽が一般のオーディエンスに広まるにつれ,評価が高まっています。

"Ballade Erlkonig"以前の代表作としては,"Fijf Canons (Five Canons)"(1964-1967)があります。「チリチリ」,「プチプチ」といったノイズ(第5番ではレコードのスクラッチノイズを使用)だけで構成された,異色中の異色作です。
上記CDでの自らの解説でも,"Canons"を「ネズミの音楽(mice music)」と評しています。(もっとも,日本人の私には「線香花火の音楽」とも思えますが。^^;)

本作では数多くの短波の音を録音して収集し,それらをミックスしています。
作曲者のコメントによると,短波の音は「短波の領域,エーテルのたまり場からの生命のしるし。信号,雑音,騒々しさ,音色,和音,不可解な人の声のような音からなる,理解しがたい,様々に解釈できるメッセージの連続音」なのだそうです。(こういう作曲者の解説文の詩的表現もまた,読んでて楽しいです。^^;)

使われている音は,信号音,ノイズが主です。それにしても,考え得るありとあらゆる音が駆使され,右から左から音が飛び交っています。ほとんど短波サウンドの見本市状態です^^;。
音は加工されたり,ループにされているものもありますが,それでも大部分は短波ラジオの音そのままの印象を受けます。

データ通信,モールス信号,ダイヤルを回す音,歪んだ音声,エキゾチックな音楽,妨害電波,強い電波が混信してシャリシャリいう音(いわゆる"サイドスプラッシュ"),"カリカリ","プチプチ"といったノイズ,果ては数字を読み上げる暗号放送の類まで聞こえます。
同様に短波の信号音をメインにした音楽を作った,William Basinski(別項参照)やLuctor Ponce(別項参照)は,人の声や音楽は慎重に避けていますが,本作ではそうした音も使い所をおさえながら要所要所に置いています。

また,比較的鋭く短い音や,高めにイコライジングされた音を好んで使っているようでもあります。これは,前述の「ネズミの音楽」にも通じていそうです。

収集した短波の音をミックスすることで,思いもよらなかった意図的に作れない音の形ができたと言います。実際,厳選された素材の緻密な編集の成果というよりは,ラジオの音のおもしろさ(というかストレンジさというか^^;)が活かされている感じがします。

短波の音をそのままに構成した作風は,前述のPonce作品に近い印象も受けます。しかし,ごくクールかつシンプルに構成されたPonceの作品に比して,緻密な構成を持ちつつより複雑な音響,激しい展開もあり,作品全体に異様な熱気さえ感じられます。この熱気は同時期のStockhausenの諸作品(別項参照)にも感じられるものです。

そんな作業の結果できたサウンドは,作曲者にシューベルトの歌曲で有名なゲーテの物語詩「魔王(Erlkonig)」を思い起こさせるに至り,そのコンセプトが付け加えられることになったようです。
電子音楽の分野でも,文芸作品の古典に触発された作品は少なくありませんが,シューベルトの名曲のイメージの強いこの詩をタイトルにするとは,意表をついていると言うか,大胆と言うか^^;。

「魔王」は,嵐の夜を馬に乗って走る父子がいて,父親が気づいた時には魔王がその子供の命を奪っていたというストーリーがあります。上演においては指定のタイミングで,ゲーテの詩の各部分がスライドで示されます。(CDの解説書にはスライドのかわりに,ゲーテの詩のフレーズに秒単位でタイミングを付した「シナリオ」が掲載されています。)

その指定によるとこの曲には17のパートがあり,そのタイミングで音が変化しているのが聞いていてわかります。
シューベルトは,登場人物3人の対話をオペラのように表現していますが,この作品の音に3人をあてはめるのは....(^^;)。ただ,詩の緊迫感と曲の流れは,案外当てはまっているように思えます。

18分20秒目,詩のクライマックスにあたる子供が魔王につかまれるパートでは,短波の音とともに明らかにハイファイで多数の銃撃音,砲撃音が聞こえます。サウンドの基本的コンセプトが短波の音ということからすると,「魔王」を思いついた後で加えた音かもしれません。
そして最後は,死と静寂を示すかのように小さな,しかしかん高く持続するノイズが続き,曲は終わります。

Raaijmakersの短波を使った作品は本作のみですが,"Canons"に続くノイズを使った音楽の流れの中で,作曲者の意図を超えた音響が現れているという意味でも,一つの極みを見せていると言えるでしょう。

また,本作が作られた1967年前後は,前述のPonceやStockhausenの短波ラジオを使った諸作が産み出されていた時期だったことを考えると興味深いものがあります。
各々の作曲家の表現などにはかなりの違いが感じられますが,短波がインスピレーションの源泉となる条件が,この時期に限り何かあったのかもしれません。
(そして現在,インターネットはじめデジタルのメディアは,創作上同様の位置にあるのでしょうか?)


[参考サイト]

[その他の参考CD]

  • Tom Dissevelt, Kid Baltan, Henk Badings and Dick Raaijmakers "Popular Electronics" (4CDs/BASTA AUDIO/VISUALS 3091 412)
    オランダの"Philips Research Laboratories"で1956〜1963年に生み出された電子音楽の名作の数々。本作は収録されていませんが,Disc2に本文で言及したもの以外のRaaijmakersの作品が収録されているほか,Kid Vartan名義での比較的ポップでユーモラスなな作品も。

(c) 2006 gota

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